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お前、侍だよ

2003年PRIDEミドル級GP決勝戦の抽選会でヴァンダレイ・シウバ選手を指名した吉田選手に送った言葉。

お前、男の中の男だよ

田村潔司戦の後、高田の引退試合の為に、膝の負傷を押してまで出場し、ジル・アーセン戦に勝利した桜庭和志選手に送った最大の賛辞。

嫌な役を引き受けてくれたよ。田村、お前男だ!ありがとう!

2002年11月24日・『PRIDE23』(東京ドーム)でのラストマッチ後のマイクアピール。対戦相手は第二次UWF、UWFインターで共に闘っていた、かつての後輩である田村潔司。2R1分、田村の放った右フックに、高田はリングに崩れ落ちる。勝者・田村のマイクアピールの後、高田は意識が飛んでいる中で、この言葉を素直に口に出した。

多くの叱咤激励には感謝の気持ちでいっぱいだ。この試合は皆さんへのお返しだと思っている

「多くの叱咤激励には感謝の気持ちでいっぱいだ。この試合は皆さんへのお返しだと思っている」
引退試合前に高田はこう語った。その試合の相手は元UWFインター選手で、1995年、ファンの前で高田にむかって挑戦、それも「真剣勝負をして下さい」と言った田村潔司。『PRIDE』というリングを作った高田の、ファンに対しての長年の思いはリングの中から発信される。あの時実現出来なかったカードが、時間と団体を超えて実現した。

今日やれることはやった

2001年11月3日『PRIDE17』(東京ドーム)において、ミルコ・クロコップと対戦。3分5Rを闘い抜いてドローであったが、高田の終始グラウンドに寝たままという姿勢にファンはブーイング。実は2Rに高田の放ったローキックをミルコがスネでブロックした時に、高田は右足の踵骨を骨折、立って闘う事が実質不可能だった。

身体がアキレス腱固めを取りにいってしまった

1998年10月11日『PRIDE4』(東京ドーム)でヒクソン・グレイシーと再戦。1R7分過ぎ、ヒクソンを投げた高田はガードポジションの 体勢になる。日本人ファイターの誰も取れなかったポジションで、そのまま膠着するかに思えた。が、脇の下にヒクソンの足を確認した時、高田の身体は無意識の攻撃をする。これが勝敗を決した。(『泣き虫』幻冬舎・281ページより抜粋)1998年10月11日『PRIDE4』(東京ドーム)でヒクソン・グレイシーと再戦。1R7分過ぎ、ヒクソンを投げた高田はガードポジションの 体勢になる。日本人ファイターの誰も取れなかったポジションで、そのまま膠着するかに思えた。が、脇の下にヒクソンの足を確認した時、高田の身体は無意識の攻撃をする。これが勝敗を決した。(『泣き虫』幻冬舎・281ページより抜粋)

最初にやったときに比べると、はるかに小さな男

1998年10月11日『PRIDE4』(東京ドーム)でヒクソン・グレイシーと再戦。リングに上がった高田は一年前とはまるで光景が違う事に気がついた。真っ暗な中でヒクソンだけが輝いていた一年前とは違い、そこは高田の知っている何回もあがったリングであり、対角線コーナーのヒクソンを見てこう思った。(『泣き虫』幻冬舎・280ページより抜粋)

今年は、ただじゃリングを降ろしません!

1998年6月24日『PRIDE3』(日本武道館)で、カイル・ストゥージョン戦を2分17秒・ヒールホールドで下した高田は、コーナーポストに駆け上がって喜んだ。『PRIDE』のリングでの初勝利である。そして再びやってくるヒクソン・グレイシー戦について力強く語った。高田の中でのヒクソン像が変化したのがよくわかる一言だ。

自分にとっては、これがスタートです

1997年10月11日・『PRIDE』(東京ドーム)にて、高田はヒクソン・グレイシーと対戦したが、1R4分47秒・腕ひしぎ逆十字固めで敗北。試合前から沈黙を守っていた高田だが、ドームをあとにする際にマスコミにこう語った。

本当にこのリングに上がらなきゃいけないんだろうか

1997年10月11日『PRIDE』(東京ドーム)にて。自宅から会場に向かうまで、まるで死刑場に向かうような気分だったという。高田の中で ヒクソン・グレイシーという存在は、想像以上に大きくなってしまっていた。入場直前、高田は初めてリングに向かう事を躊躇した。 (『泣き虫』幻冬舎・243ページより抜粋)

うっわぁ、かわいいなぁ

1997年12月25日・東京目黒の某事務所にて、高田の携帯電話が鳴った。相手はその四日前にUFCジャパンに出場し、見事優勝した桜庭和志。酔った桜庭は、道場設立に向けて動いている高田の携帯電話に初めて電話をかけ、言った。「ぼくは一生高田さんについていきます!」それを聞いた高田は胸を打たれ、こう思った。(『泣き虫』幻冬舎・271ページより抜粋)

これからはUWFの“U”というのは文字でも言葉でもない、心の中に永遠に生き続けます!

1996年12月27日『U.W.F.FINAL』(後楽園ホール)でUWFインター最後の大会後、高田が観客に向けて叫んだ言葉。第一次UWF、第二次UWFを経て“UWF”という名を継承続けてきた高田だが、この日をもってその三文字は永遠に消滅し、日本の格闘技・プロレス界にとっての伝説となった。
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